【朗読】悪魔/芥川龍之介~あらすじ、重要シーンまとめ~

「悪魔」は芥川龍之介の隠れた名作。

美しい顔を持つ悪魔が告白する言葉に、あなたは自分自身の心の葛藤を見出すかもしれません。

「堕落させたくないもの程、益々堕落させたい」—この矛盾した感情に共感したことはありませんか?

キリスト教の伝道師ウルガンが見た悪魔の姿を通して、人間の複雑な内面を描いた短編小説の真髄に迫ります。


西洋と東洋の思想が融合したこの物語で、あなたの心に眠る「美しい悪魔」に出会ってみませんか?

\耳から作品を楽しみたい方は、全編を以下YouTubeで朗読しております/

この記事を読んでわかること
  • 『悪魔』の物語概要とあらすじ
  • 『悪魔』のメッセージや考察
  • 『芥川龍之介』について
目次

『悪魔』のあらすじと登場人物について

あらすじ

※ネタバレを避けたい方はスキップしましょう!

芥川龍之介の「悪魔」は、キリスト教の伝道師ウルガンを中心に描かれた幻想的な短編小説です。
ウルガンは青い瞳の持ち主で、他の人には見えない悪魔の姿を見ることができるとされていました。

古写本によれば、ウルガンは織田信長の前で、京都の町で見かけた悪魔について語ります。
それは人間の顔、蝙蝠の翼、山羊の脚を持つ奇怪な小さな生き物でした。

ウルガンは様々な場所で悪魔を目撃していましたが、特に興味深いのは、ある姫君の輿の上にあぐらをかいていた美しい顔を持つ悪魔です。

古写本の作者は、これをウルガンが信長の姫君への懸想を諫めるための諷喩だと解釈していますが、真偽は不明です。

ある夕べ、ウルガンは南蛮寺の門前で、姫君の輿の上に美しい顔をした悪魔が座っているのを見ます。
この悪魔は他の悪魔とは異なり、深く悩んでいる様子でした。

熱心なキリスト教信者である姫君を心配したウルガンは、十字架の力で悪魔を捕え、南蛮寺の内陣へ連れていきます。

イエス・キリストの画像の前で、ウルガンは悪魔に姫君の輿に乗っていた理由を問いただします。
悪魔は、姫君を堕落させたいと思う一方で、その清らかな魂を汚したくないという矛盾した感情に苦しんでいたと打ち明けます。

悪魔は「堕落させたくないもの程、益々堕落させたい」という悲しい宿命を嘆き、涙を流します。

古写本はこの悪魔のその後について詳しく伝えていませんが、作者は読者に「ウルガンよ、悪魔と共に我々を憐んでくれ。
我々にも亦た、それと同じような悲しさがある」と呼びかけるような気持ちを感じさせることに意義があると述べて物語を締めくくっています。

主な登場人物

  • ウルガン
    外国人宣教師(伴天連)。青い瞳を持ち、他の人には見えない悪魔の姿を見ることができる特別な能力を持つ。南蛮寺で布教活動を行っており、信長の前でも悪魔について語ったとされる。
  • 美しい顔をした悪魔
    姫君の輿の上に座っていた特異な悪魔。他の悪魔と違って玉のように美しい顔を持ち、姫君を堕落させたいという欲望と、清らかな魂を汚したくないという矛盾した感情に苦しんでいる。
  • 姫君
    物語に直接登場しないが、両親と共に熱心なキリスト教信者。織田信長が懸想したとされる美しい女性。悪魔が輿の上に座っていたのはこの姫君。
  • 織田信長
    物語の背景に存在する歴史上の人物。姫君に懸想して自分の意に従わせようとしたとされるが、姫君も両親も望まなかった。

『悪魔』の重要シーンまとめ

この章では「悪魔」のキーとなるシーンをまとめています。

場面
悪魔の目撃

ウルガンが京都の町で様々な姿の悪魔を目撃する場面。
塔の上で踊る悪魔、四足門の屋根の下に隠れる悪魔、山の法師の背にしがみつく悪魔、女房の髪にぶら下がる悪魔など、様々な形で人間に取り憑く悪魔の姿が描かれる。

場面
美しい悪魔との出会い

ウルガンが南蛮寺の門前で、姫君の輿の上に美しい顔をした特異な悪魔を見つける場面。この悪魔は他の悪魔とは違い、深く思い悩んでいる様子であったことから、ウルガンの関心を引く。

場面
悪魔の告白

ウルガンによって捕えられた悪魔が、キリストの画像の前で自らの葛藤を告白する感動的な場面。清らかな姫君を堕落させたいという欲望と、その純潔を守りたいという相反する感情に苦しむ悪魔の姿は、人間の持つ矛盾した感情の象徴として描かれている。
「堕落させたくないもの程、益々堕落させたい」という言葉には、人間の抱える根源的な矛盾が凝縮されている。

おしまい
あおなみ

この物語は単なる宗教的な寓話を超え、人間の内面にある善と悪の葛藤を象徴的に描いた芸術作品といえますね!

『悪魔』の考察や気づき

「芥川龍之介」が『悪魔』を通して伝えたかったメッセージを、以下のように考察しました。

  • 人間の内なる矛盾
    芥川は美しい悪魔の告白を通して、人間の心の中にある相反する感情の葛藤を描き出している。
    純粋なものを純粋なまま保ちたいと願いながらも、それを汚したいという欲望が同時に存在するという矛盾は、人間の本質的な姿を象徴している。芥川はこの内なる矛盾こそが、人間の「悲しさ」の源泉であると示唆している。
  • 美と罪の関係性
    美しい顔をした悪魔というモチーフは、美と罪の密接な関係を示唆している。芥川は清らかで美しいものほど、それを汚したいという欲望を喚起するという人間の心理を鋭く描き出し、美の裏に潜む破壊衝動という芸術的テーマに迫っている。
  • 西洋と東洋の思想的融合
    キリスト教の悪魔というモチーフを用いながらも、そこに東洋的な「無常観」や「諸行無常」の思想を重ね合わせている。芥川は西洋の宗教的象徴を借りて、東洋的な人間観や世界観を表現し、文化的な融合を試みている。
あおなみ

芥川の「悪魔」は短編でありながら、人間の内面の複雑さと矛盾を見事に描き出した深遠な作品です。表面的な宗教物語の奥に、普遍的な人間の姿を見出すことができます。

芥川龍之介について

芥川龍之介(1892-1927)は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本を代表する小説家です。「悪魔」に見られるような西洋と東洋の文化的要素を融合させた独自の文体と世界観は、彼の作品の大きな特徴の一つです。キリスト教の要素を取り入れながらも、日本の伝統的な文学や思想を背景に持つ作品を多く生み出しました。

「悪魔」における人間の内面の矛盾や葛藤のテーマは、芥川自身の内面的な苦悩を反映しているとも考えられます。実際に芥川は、西洋的な合理主義と東洋的な精神性の間で葛藤し、最終的に35歳で自ら命を絶ちました。「悪魔」の中で描かれる「天国の光と地獄の暗闇が一つになる」という感覚は、芥川自身の精神的な分裂や矛盾を象徴しているのかもしれません。

また、「悪魔」に見られる美しい文体と深い洞察は、彼の他の作品「羅生門」「鼻」「地獄変」などにも共通するものです。歴史や伝説を題材にしながらも、そこに普遍的な人間性を見出す芥川の手法は、日本文学に大きな影響を与えました。

この作品は比較的短いながらも、芥川の文学の本質を凝縮しているといえるでしょう。人間の心の深層を鋭く描き出す洞察力、美しく洗練された文体、西洋と東洋の融合、そして存在の根本的な悲しみへの共感――これらは全て芥川文学の神髄といえるものです。

『悪魔』のあおなみのひとこと感想

あおなみ

芥川の「悪魔」は、短いながらも読者の心に深く刺さる作品です。美しい顔をした悪魔の告白は、私たち人間が日常的に抱える矛盾した感情を鮮やかに映し出しています。純粋なものを純粋なまま愛したいという願いと、それを穢したいという欲望の間で揺れ動く悪魔の姿に、私たち自身の姿を見る思いがします。現代にも通じる普遍的なテーマを持つ傑作です。


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