【朗読】舞踏会/芥川龍之介~時を越えた思い出~

こんにちは!
今回は芥川龍之介の『舞踏会』です。

明子の青春時代の華やかでかつ、少し切ない舞踏会の思い出を
ぜひ、耳からでもどうぞ♪

あらすじ

※ネタバレしたくない方はスキップしましょう!

これは明治十九年十一月三日の夜のお話です。まだ十七歳の明子という少女が、お父さんと一緒に鹿鳴館で開かれる舞踏会に出かけることになりました。鹿鳴館の階段を上がると、明るいガス灯の光に照らされて、両側には美しい菊の花が三重に並んでいました。その先からは、陽気な管弦楽の音が聞こえてきました。

明子はフランス語や舞踏の教育を受けていたものの、正式な舞踏会に参加するのは初めてでした。胸の中は期待と不安でいっぱいです。階段の途中で、支那の大官と出会い、彼の驚いた視線を浴びました。明子の姿はまるで一輪の薔薇のように美しかったのです。

階段を上りきると、舞踏室の入口には伯爵夫妻が待っていて、明子とお父さんを迎えてくれました。舞踏室の中は豪華絢爛で、たくさんの婦人たちが華やかな衣装で踊っていました。明子は友人たちと一緒になり、彼女たちに褒められて照れくさい気持ちでいっぱいでした。

そんな中、フランスの海軍将校が現れ、明子に踊りを申し込みます。彼と一緒に「美しく青きドナウ」のワルツを踊りながら、明子は彼の優しい言葉に心を躍らせます。将校の眼差しは、明子の一挙一動に注がれていました。彼は明子の姿に興味を持ち、まるで彼女が異国の姫君であるかのように感じていたのです。

踊りの後、二人は食卓でアイスクリームを楽しみました。将校は日本の女性の美しさを称賛し、明子をまるで絵画の中の姫君のようだと言いました。明子は将校の言葉に嬉しさを感じながらも、自分の無知を少し恥ずかしく思います。

その後、二人は露台に出て、星月夜の下で語り合いました。将校は人生を花火に例え、儚いものだと感じていました。明子はその言葉に深い感銘を受けました。

さて、話は大正七年の秋に飛びます。今や老夫人となった明子は、鎌倉への道中で一人の青年小説家と出会います。彼に舞踏会の思い出を語る中で、あのフランスの海軍将校の名前がジュリアン・ヴィオだと明かします。青年はそれが有名な作家ピエル・ロティだと気付きますが、明子はあくまでジュリアン・ヴィオだと言い張ります。

登場人物

  1. 明子(あきこ)
  • 主人公で、当時十七歳の日本の令嬢。フランス語と舞踏の教育を受けており、正式な舞踏会に初めて参加する。

2.明子の父親

  • 頭の禿げた紳士。娘を舞踏会に連れて行き、鹿鳴館で彼女を紹介する。

3.支那の大官

  • 鹿鳴館の階段で明子とすれ違い、彼女の美しさに驚く。

4.伯爵と伯爵夫人

  • 舞踏会の主人役。明子と父親を迎え、伯爵は勲章を身に着け、伯爵夫人は上品な姿をしているが、明子は彼女に下品な点を感じる。

5.仏蘭西(フランス)の海軍将校

  • 明子にダンスを申し込む青年。日焼けした顔に濃い口髭が特徴。日本語で明子に話しかけ、彼女とダンスや会話を楽しむ。実は著名な作家ピエル・ロティ(本名ジュリアン・ヴィオ)。

6.明子の友人たち

  • 舞踏会に参加している他の令嬢たち。明子と同じく華やかな舞踏服を着ており、彼女を褒める。

7.青年小説家

  • 大正七年の秋に鎌倉へ向かう途中、明子と偶然に出会う。明子から鹿鳴館の舞踏会の思い出を聞かされる。

8.H老夫人(後の明子)

  • 年老いた明子。鎌倉への道中で青年小説家に舞踏会の思い出を語る。

これらの登場人物が、明治から大正にかけての日本の社交界と個人の思い出を彩っています。

作品の時代背景

明治時代の日本(1868-1912)

  1. 西洋化と近代化の時代
  • 明治維新(1868年)の後、日本は急速な西洋化と近代化を進めました。西洋の技術や文化を取り入れ、国内の産業や教育、軍事を近代化しました。

2.鹿鳴館時代(1883-1887)

  • 明治政府は西洋列強国との外交関係を強化するため、鹿鳴館を建設しました。鹿鳴館は外国の要人をもてなす社交場として利用され、西洋風の舞踏会やパーティーが頻繁に開かれました。
  • この作品の舞台である鹿鳴館は、まさにその象徴であり、明治十九年(1886年)という設定です。鹿鳴館での舞踏会は、西洋文化の導入とともに、日本の上流階級の生活スタイルに大きな影響を与えました。

3.西洋文化の影響

  • この時代、多くの日本人が西洋の教育や文化に触れ、西洋風の服装やマナーを身につけました。明子もフランス語と舞踏の教育を受けており、鹿鳴館での舞踏会に参加することが彼女の一つの社会的なステータスとなっています。

4.外交と社交

  • 明治時代は日本が国際社会における地位を確立しようとする時期でもあり、外交活動が盛んでした。鹿鳴館での社交イベントは、外交関係を築くための重要な場であり、外国人要人との交流が行われました。仏蘭西(フランス)の海軍将校もその一環で日本を訪れていたのでしょう。

5.後の大正時代(1912-1926)

  • 作品の後半は大正七年(1918年)の設定です。大正時代は比較的安定した時期であり、文化や芸術が花開きました。鎌倉に別荘を持つことができるほどの富裕層の生活が描かれ、当時の上流階級の余裕と文化的な生活が垣間見えます。

このように、作品は明治から大正にかけての日本の社会や文化の変化を背景に描かれており、登場人物たちの生活や経験を通じて、その時代の雰囲気が感じられます。

芥川龍之介について

芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)は、明治時代末期から大正時代にかけて活躍した日本の作家で、日本文学の重要な人物の一人です。彼の作品は短編小説が多く、精緻な描写と深い心理描写が特徴です。ここでは、彼の生涯や特徴的な作品とともに、「舞踏会」との関連を紹介します。

芥川龍之介の生涯と作品

生涯

  • 出生と家庭
    1892年3月1日、東京で生まれました。生後まもなく母が精神を病み、母方の叔父に養育されました。

  • 教育
    東京帝国大学で英文学を学びました。在学中から文学活動を始め、友人たちと共に同人誌を創刊しました。

  • 文学活動
    1915年に発表した「羅生門」で文壇に登場し、その後、「鼻」、「地獄変」、「芋ヶ原逍遥」などの作品を発表し、高い評価を受けました。

  • 晩年
    1927年に自ら命を絶ちました。晩年は精神的な苦悩と健康の問題に苦しんでいました。

特徴的な作品とテーマ

  • 「羅生門」  
    人間のエゴイズムと生存本能を描いた作品。

  • 「鼻」
    人間の弱点や虚栄心を風刺的に描写。

  • 「地獄変」
    芸術と狂気のテーマを扱い、芸術家の苦悩を描く。

  • 「舞踏会」
    西洋文化と日本文化の交錯、青春の儚さ、記憶の重要性をテーマにした作品。

「舞踏会」と芥川龍之介

「舞踏会」は、芥川龍之介が1919年に発表した短編小説で、明治時代の日本の社交界を背景に描かれた作品です。この作品を通じて、芥川は日本の伝統と西洋文化の影響というテーマに取り組んでいます。

異文化交流

  • 明子とフランスの海軍将校との出会いは、異文化交流の象徴です。芥川は、西洋文化が急速に流入してきた明治時代の日本を背景に、このテーマを描いています。

青春の儚さ

  • 明子の一夜の体験は、青春の一瞬の美しさと儚さを象徴しています。芥川は、若者の感受性や初めての体験の特別さを繊細に描写しています。

記憶の重要性

  • 物語の後半で、年老いた明子が過去の思い出を語る場面は、記憶がどれほど個人にとって重要であるかを強調しています。芥川は、時間の経過とともに記憶が持つ意味を深く探求しています。

日本と西洋の対比

  • 舞踏会という西洋文化の象徴的な場面を通じて、日本と西洋の価値観や美意識の対比が描かれています。芥川は、異なる文化の出会いが個人にどのような影響を与えるかを探求しています。

まとめ

芥川龍之介は、明治から大正にかけての日本文学を代表する作家であり、その作品は人間心理や社会風俗を鋭く描写しています。「舞踏会」は、異文化交流、青春の儚さ、記憶の重要性をテーマにした作品であり、芥川の文学的探求を反映しています。彼の繊細な描写と深い洞察力は、この作品にも色濃く現れており、時代背景と個人の経験が交錯する物語を生み出しています。

あおなみのひとこと感想

青春時代って一瞬で儚いけど、深く記憶に残りますよね♪

僕は今年で35歳になりましたけど、10代の頃の経験は色濃く残っている気がします。
人生を振り返るにはまだまだ若輩者だけど、今後も頑張っていきたい笑

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