芥川龍之介の「運」は、観音様への純粋な願いが思わぬ悲劇を招く物語です。
清水寺で三七日間の籠もりを行った美しい娘が受けた神託は、彼女を盗賊の世界へと導き、ついには人殺しという重い罪を背負わせることに。
表面的な幸福の裏に隠された代償と、運命の皮肉な二面性を描いたこの作品は、宗教的救済への鋭い疑問を投げかけます。
果たして「運」とは本当に善なるものなのでしょうか?
\耳から作品を楽しみたい方は、全編を以下YouTubeで朗読しております/
- 『運』の物語概要とあらすじ
- 『運』のメッセージや考察
- 『芥川龍之介』について
『運』のあらすじと登場人物について

あらすじ
※ネタバレを避けたい方はスキップしましょう!
清水寺への参詣客が絶えない春の午後、陶器師の工房で青侍と老翁が運について語り合う。青侍は観音様に運を授けてもらいたいと冗談めかして話すが、老翁は意味深に「授けられる運の善し悪し」について語り始める。
老翁が語る昔話は、三四十年前の美しい娘の物語だった。母親の死後、貧しい生活を送っていた娘は、清水の観音様に「一生安楽に暮らせるように」と願をかけ、三七日間の籠もりを行う。満願の夜、夢の中で「帰る道で声をかける男の言うことを聞くがよい」という観音様のお告げを受ける。
帰り道、実際に男に声をかけられた娘は、それを観音様の導きと信じて従う。男は八坂寺の塔に娘を連れ込み、一夜を共にした後、宿世の縁だと言って夫婦になることを提案する。形ばかりの婚礼を済ませると、男は綾十疋、絹十疋を渡して出かけていく。
残された娘が塔の奥を探ると、そこには珠玉や砂金などの財宝が皮匣に詰められていた。男が盗賊であることを悟った娘は逃げ出そうとするが、そこにいた老尼に見つかってしまう。老尼は男に逃げられたら自分が酷い目に遭うと泣き叫び、娘の足にしがみつく。女同士の激しい争いの末、娘は老尼を殺してしまい、綾と絹だけを持って逃げ出す。
知人の家に身を寄せていると、外で騒ぎが起こる。覗いてみると、昨夜の男が盗賊として捕らえられ、検非違使に引かれていく姿だった。娘はその縄目の姿を見て、なぜか涙が込み上げてきた。その後娘は、持ち出した絹や綾を売って商売を始め、何不自由ない身の上となった。
老翁は「観音様への願がんをかけるのも考え物だ」と語る。青侍は結果的に幸せになったのだから良いではないかと言うが、老翁は「そんな運はまっぴら」と答える。しかし青侍は「二つ返事で授けてもらう」と言い、明日から籠もりをしようと冗談めかして話を終える。
主な登場人物
- 青侍
陶器師の工房を訪れている若い武士。運が上がらないことを嘆き、観音様に運を授けてもらいたいと軽い気持ちで語る。老翁の話を聞いても、結果オーライなら良いという楽観的な考えを持つ。 - 陶器師の老翁
鳥羽僧正の絵巻に出てくるような風貌の老人。長年の人生経験から、運の複雑さや皮肉さを理解している。青侍に対して、運の「善し悪し」について深い洞察を示す語り部的存在。 - 娘(過去の人物)
美しく利発な女性で、母親(元巫子)の死後、貧困に苦しんでいた。観音様への純粋な信仰心を持つが、その結果として盗賊の妻となり、人を殺すという運命に巻き込まれる。最終的には商売で成功を収める。
『運』の重要シーンまとめ

この章では「運」のキーとなるシーンをまとめています。
物語の運命的転換点となる最重要シーン。三七日間の籠もりの満願の夜、娘がうとうとと眠りかけた時に体験する神秘的な出来事である。
八坂寺の塔の奥で、娘が珠玉や砂金などの盗品を発見するシーン。男の正体が盗賊であることが判明し、娘の運命が暗転する瞬間。
逃げ出そうとする娘と、それを阻止しようとする老尼との激しい争い。結果的に老尼を殺してしまう、物語最大のクライマックス。

運とは時として残酷で皮肉なものだということを、これらの重要シーンが鮮やかに描写していますね。
『運』の考察や気づき


「芥川龍之介」が『運』を通して伝えたかったメッセージを、以下のように考察しました。
- 運命の皮肉と宗教への疑問
作者は、純粋な信仰心が必ずしも良い結果をもたらすわけではないことを描いている。観音様のお告げに従った結果、娘は人殺しという重い罪を背負うことになる。これは宗教的救済への疑問を投げかけている。 - 運の二面性
老翁が語る「運の善し悪し」は、同じ出来事でも見方によって幸運にも不運にもなることを示している。表面的な成功の裏に隠された代償や苦悩を描き、運の本質的な複雑さを表現している。 - 因果応報への懐疑
従来の仏教的世界観では善行は善果を、悪行は悪果をもたらすとされるが、この作品では必ずしもそうはならない。むしろ悪事を犯した者が繁栄するという逆説を通じて、因果応報への疑問を呈している。



芥川らしい人間心理の複雑さと、伝統的価値観への鋭い洞察が光る作品ですね。
芥川龍之介について
芥川龍之介(1892-1927)は、「運」においても彼の特徴的な文学手法を存分に発揮している。平安時代を舞台とした歴史小説の形を取りながら、現代人の心理や価値観の問題を鋭く描き出している。
この作品に見られる「枠物語」の構造(青侍と老翁の会話の中で昔話が語られる)は、芥川が得意とした技法の一つである。『羅生門』や『鼻』でも見られるように、古典的な素材を現代的な視点で再話することで、普遍的なテーマを浮かび上がらせている。
また、宗教や道徳に対する懐疑的な態度も芥川文学の大きな特徴だ。「運」では観音様への信仰が皮肉な結果をもたらすことで、安易な宗教的救済への疑問を投げかけている。これは晩年に向かって深刻化していく芥川の人生観の萌芽を感じさせる。
文体においても、古雅な文語調と現代的な心理描写を巧みに融合させ、読者を平安の世界に引き込みながらも、現代的な問題意識を失わない絶妙なバランスを保っている。
『運』のあおなみのひとこと感想



一見すると昔話風の物語だが、運命の皮肉さと人間の複雑さを描いた傑作。観音様のお告げが悲劇の始まりとなる設定が秀逸で、宗教的救済への疑問を巧妙に織り込んでいる。最後まで善悪の判断を読者に委ねる芥川の巧みな筆致に感動した。
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