こんにちは!
今回は中島敦作の『夾竹桃の家の女』という作品です。
デング熱に苦しむ男が幻覚と静寂の中で出会った謎めいた女性との邂逅をお楽しみください♪
以下YouTubeからどうぞ!
あらすじ
これは暑い午後、風も止んで蒸し風呂のような環境の中で、一人の男性がデング熱から回復途中の身体を引きずりながらパラオの村を歩く話です。疲れ果てた彼は、夾竹桃の花が咲く家の前で休むことにします。その家には一匹の白い猫しかおらず、男性は勝手に上がり込みます。しばらくして、突然一人の若い女性が現れます。その女性は上半身裸で、赤ん坊を抱えていました。
女性の視線は異様で、彼をじっと見つめ続けます。その視線に少しずつエロティックな興味を感じ始める男性ですが、病後の疲れもあり、その場から立ち去ることにします。後に、その女性が日本の男性なら誰でも好きだということを村の女性から聞かされ、自分の一時の感情に苦笑します。
そして、スコールが降って村が洗われると、再びその女性に出会いますが、彼女は全く彼を認識しないかのように無表情で通り過ぎていくのです。この体験を通して、男性は熱帯の魔術のような一日を思い返すのでした。
時代背景
この作品「夾竹桃の家の女」の時代背景は、日本の統治下にあった南洋諸島、具体的にはパラオが舞台です。以下の点から時代背景を考察できます:
- 日本の南洋諸島統治:作品には日本語を話すパラオの島民が登場し、日本の教育を受けたことが示唆されています。これは南洋諸島が第一次世界大戦後の国際連盟の委任統治領として日本の管理下にあった時代(1919年から1947年)を反映しています。
- デング熱と熱帯の環境:物語の中で主人公がデング熱にかかり、その影響で幻覚を見る描写があります。これは当時の熱帯地方での病気や衛生状態を反映しています。また、作品全体に描かれる暑さ、湿気、スコールなどの気候描写も、南洋諸島の特徴を示しています。
- 文化的融合:作品には日本文化と現地文化の融合が見られます。パラオの伝統的な生活様式や風習と共に、日本語教育を受けた若い女性の存在が描かれています。この文化的融合は、日本の委任統治下での現地住民への影響を表しています。
このように、「夾竹桃の家の女」は日本が南洋諸島を統治していた時代を背景に、熱帯地方の独特な風土や文化、日本との接点を描いています。
中島敦について
中島敦(1909-1942)は、日本の昭和初期に活躍した作家で、短編小説や随筆で知られています。彼の作品は哲学的なテーマや人間心理の深い洞察に満ちており、彼自身の人生経験や知識が色濃く反映されています。
中島敦の生涯と作品
生い立ちと教育:
中島敦は東京に生まれ、幼少期から文学に親しみました。東京帝国大学文学部で中国文学を専攻し、中国古典に対する深い知識を得ました。この背景は彼の多くの作品に影響を与えています。
代表作:
中島敦の代表作には、「山月記」「李陵」「弟子」などがあります。これらの作品は中国古典を題材にしつつも、人間の存在や自己認識に対する鋭い洞察を描いています。
「夾竹桃の家の女」について:
この作品は、南洋諸島を舞台にした異国情緒漂う短編小説です。中島敦は1939年から1941年にかけてパラオの学校で教鞭を執っており、その経験がこの作品に色濃く反映されています。彼はパラオでの生活や風土、現地の人々との交流を通じて得た知見を元に、熱帯地方の風景や風土、人々の生活を生々しく描いています。
作品の背景と中島敦の人生
パラオ滞在:
「夾竹桃の家の女」では、デング熱に苦しむ主人公が幻覚と現実の狭間で出会う謎めいた女性との邂逅が描かれています。この作品の背景には、中島敦自身のパラオ滞在時の経験が反映されています。彼はパラオの暑さや湿気、風景、そして現地の人々の生活様式に深く触れ、それを作品に投影しました。
文学と人生:
中島敦の作品には、彼自身の哲学的思索や人間心理への関心が色濃く現れています。「夾竹桃の家の女」にも、熱帯の過酷な環境や病気に苦しむ人間の脆さ、そして異国の地で感じる孤独と神秘が描かれています。彼の文学は、自身の体験や観察を通じて得られた深い洞察に基づいています。
中島敦は短い生涯を駆け抜けましたが、その作品は今なお多くの読者に愛され、評価されています。「夾竹桃の家の女」を含む彼の作品は、人間の根源的なテーマを追求し続けた彼の文学的遺産です。
あおなみのひとこと感想
中島敦の繊細な描写は、読んでいると
イメージがありありと浮かびますね。
何やら怪しげな雰囲気を醸し出している面白い作品でした♪
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